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教員の仕事や趣味の自転車等について(新しい自転車が届くまで部活動死ねブログ)

推薦入試と部活動のコンプライアンス違反な関係

受験生のAはバレーボールが強い中学校のバレーボール部に所属していた。

当日担当した面接官のB教諭はその高校のバレーボール部の顧問であった。

Aは面接点満点で合格をした。これは、B教諭が担当した受験生の中で1番をつけたということだ。

Aが4月に入学すると、B教諭は私立に引き抜かれて学校を去っていた。

Aは素行の悪い生徒で暴力行為などさまざまな問題を起こし1学期で退学していった。

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一発目の記事がこんなのもどうかと思うが

 

私が日本の部活動は日本の教育や社会を蝕む癌細胞そのものだと断じる理由は、まぁたくさんあるのだが、その内の1つが高校入学の推薦入試におけるコンプライアンス違反だ。

 

まずは推薦入試を簡単に説明する。

都立の推薦入試は大体〈①調査書の得点+②当日面接点(個人・集団面接)+③当日の作文点〉で行われている。

 

①の調査書とは、中学校でその受験生がどう生活してきたかの資料で、各教科の5段階評定と観点別評価、所属していた部活や委員会の活動記録、欠席日数その他が書かれている。

このうち、各教科の5段階評定のみを点数化される。

 

②の面接については、あらかじめ定められた評価基準・評価項目に基づいて面接官が採点をしていく。

評価基準は主に2点で、言語能力(コミュニケーション能力)と志望動機である。

言語能力とはこの場合、質問に対して正対した解答を適切な文章で表現できるかという能力を指し、解答に含まれる思想内容でない。

あらかじめ定められていない項目は採点できない。これは、当日受験生が遅刻しても、他の受験生と殴り合いのけんかをしたとしても、勝手に減点してはいけないほど本来は厳格なものである。

学校説明会に何度も足を運び、顔を売れば志望度が高いと面接で加点したり、当日遅刻したりすれば減点できる私立との違いはここが一番大きいだろうか。

 

③についてはそのままなので割愛する

 

ここで注目すべきは、部活動が直接の評価の対象になっていない点だ。

調査書でも部活動の戦績等を点数化しないし、面接や小論文でも、部活動とは受験生が自分の学校生活を説明したり自己PRするときに自ら言及するものであって、こちら側から点数化するような評価項目もない。(スポーツ推薦入試は除く)

 

これは至極当然である。

 

部活動は教育課程「外」の活動であり、生徒の意思に基づいて任意に行われる活動と位置づけられている。

本来自由な活動を評価するのは筋が通らない。

そしてそもそも今の時代、最近読んだ本すら質問してはいけないことになっている。思想良心の自由を守るためだ。

ならば当然、部活に参加すること、とりわけ運動部、特に男子は野球部に入部することが好ましい、などと公権力が勝手に規定するのは許されない。

 

ただ現実は、部活に参加していることが推薦入試に不当に有利に働いてしまうことが「しばしば」ある。

原因は教員の幼稚さとシステムの甘さである。

 

 

まずは実際にあった事例から。

 

受験生のAはバレーボールが強い中学校のバレーボール部に所属していた。

当日担当した面接官のB教諭はその高校のバレーボール部の顧問であった。

Aは面接点満点で合格をした。これは、B教諭が担当した受験生の中で1番をつけたということだ。

Aが4月に入学すると、B教諭は私立に引き抜かれて学校を去っていた。

Aは素行の悪い生徒で暴力行為など様々な問題を起こし、1学期で退学していった。

 

もちろん、1学期で学校にいられなくなるほど素行が悪かったけれども、入学前は面接で満点を取るほど素行がよく見えた可能性もゼロではないが、限りなくゼロに近いだろう。

 

 

さて、何でこういうことが起きてしまうのか。

 

①調査書の扱いの適当さと教員の幼稚さ

調査書は評定平均を点数化する以外に、面接の資料としても活用される。なので、当日の面接官は、自分が担当する受験生の調査書に目を通している。面接のやり取りで判断すればいいだけなので、本来は不要な情報であるはずの生徒の部活動その他の記録が面接に影響を与えてしまう。

 

これだけならまだいいのだが、当日の面接官以外の全教員が、入選業務その他を通じて、事前に全受験生の調査書にアクセスできてしまう。

早ければ願書が出た段階で、各部活動顧問は合格後に自分の部活に入ってくれそうな生徒に目をつけはじめる。

先のB教諭のように「たまたま」面接担当になれなかったとしても、仲のいい教員が面接担当であれば、何らかの働きかけをしたりも可能である。

実際、面接当日の朝に私が自分の担当の受験生の調査書に目を通したりしていると、まったく関係のない教員が、ちょっと調査書を見せてくれませんか、と寄ってくる。そして、この生徒は野球をがんばってるんですよね、とバイアスのかかった発言をする。これは毎年起きることでまったく珍しいことではない。

 

②部活動見学という事前のコネ作りと教員の幼稚さ

学校説明会とは別に、将来の受験生が中学校3年次や早ければ2年次から志望する高校に顔を出し、コネを作ることができる方法が公然と存在する。

それが部活動見学・体験だ。

やり方は簡単で、高校に電話し、部活動顧問に話をつけて、放課後や土日の部活動を見学させてもらったり、一緒に練習させてもらうだけだ。

出願の時点ですでにもう何回か一緒に練習をしているので、受験生もなかば部員の一部なのである。

公平な視点で面接を担当できる状態にないのは言うまでもない。

 

 

入選業務というのは、受験生の人生に多大な影響を与える、教員が携わる業務のなかでもっとも厳格なものの1つだ。(そもそも教員の仕事なのかという疑問もあるが)

都立高は1校しか受験できないので、落ちれば何倍も何百万円も余計にお金のかかる私立にいくか、1次試験で定員が埋まらないような底辺高にいくかの二択である。

 

採点ミスを防ぐために都教委もあらゆる手を尽くし、電子採点システムの導入にも多大な予算をかけ、マニュアル作りも徹底してきた。

それでも採点ミスがあり、ましてや合格者と不合格者の順位が発表後に入れ替わった日には、全国紙等で全国に報道され、責任者が記者会見で頭を下げるほどの大事になる。当たり前だが。

 

であれば、先のB教諭のやったことは明確な服務事故である。意図しない採点ミスですらこれだけ大事になるのであれば、意図的に行ったB教諭の行為はさらに大事になってしかるべき行為のはずだ。

しかし実際にはそれを目撃した教員のなかでは笑い話な扱いだ。実際私にこの事を教えてくれた教員も笑いながら話していた。

そしてその次の年の4月の歓送迎会でB教諭も顔を出して宴会芸をしていったが、まぁ人気者の扱いであり、冷たい視線を送るものはいなかった。

 

 

教員はこれほどまでに幼稚で世間知らずでコンプライアンス意識がないのである。また仲良しこよしが是とされる村社会なので、糾弾されることもない。というか糾弾したところで「何であの先生あんなに怒ってるの?」という雰囲気になるだけだ(だった)。